ある授業で教員がこういうことを言った。

「最近の人は電車でスマホばっかりいじっている。昔は本や新聞を読んでいる人が多かったのに。スマホは愚民になるための道具だね」

この教員は人文学の世界では大家として有名だ。一般人からしたら「この人が言ってるのだから間違いない」と思うかもしれないだろうが、僕はそう思わない。

多分、この教員はスマホをゲーム機か何かだと勘違いしているのだろう。そしてSNSにも不案内なのだろう。もちろんそういう機能もスマホの一部なのだが、スマホは本来「情報端末」だ。汎用性があるからこそ、様々な使い方ができる。

この教員が言う「新聞や本」はもうスマホで読むことができる。本は紙媒体がまだまだ主流なので断言はできないが、新聞であれば各社の電子版、SmartNewsやNewsPicksといったキュレーションサイトやネットメディアが主流になりつつある。SNSを使えばどんなニュースがトレンドになっているか知ることもできる。

SNSも世代が上がるにつれて否定的な感情を持つ人が多くなるが、彼らの時代はリアルで密接な関係しか築くことしかできなかったから、人間関係の構築はそれしかないと思い込んでいるだけだ。ネット黎明期に生まれた僕らやその下の若い世代は、バーチャルとリアルが混在しつつ共存共栄している世界に生きている。SNSで仲良くなればオフ会をすればいいし、それが嫌なら昔みたいに文通感覚でやり取りすればいいだけの話だ。

僕らの世代や忙しい人にとって、スマホは無くてはならない存在だ。僕らにとって時間はお金よりも惜しい。のんびりとコーヒーを飲みながら朝刊を眺めている暇などない。時間をかけずにニュースをザッピングし、それを読んで感じたことをSNSで共有したり、新しいアイデアを考えたりした方がよっぽど有意義だ。

時代は知識を求めているのではない。そこから生じる知性を求めているのだ。

件の教員は引退が見えているから、考えることを止めたのだろう。人間は考えることを止めると脳が老化して保守的になりがちだから、この見立てはあながち間違っていないだろう。

でも、僕らは違う。

常に考え、行動する。それを一生続けていくのが僕ら世代の流儀だ。

スマホは僕らを支える相棒なのだ。